スイス・日本 経済フォーラム2024

生物多様性の危機: 再生型経済への転換を推進するには?

開催日: 2024年10月9日(水)

「今こそ、生物多様性の損失を食い止めて回復軌道に乗せるために大胆な行動を起こす時であり、企業はネイチャーポジティブ(自然再興)経済への大転換を推進している」、 2024年10月9日に東京で開催されたスイス・日本経済フォーラムの講演者はこのように語り、ビジネスリーダー、研究者、国際機関や政府の代表者は、生物多様性の急激な減少がもたらすリスクと経済的影響、そして早急に自然を再生する必要性について問題意識を高めました。本フォーラムは六本木の東京ミッドタウンで開催され、起業家やイノベーターたちが、約160名の聴講者に向けて、行動のためのビジネスケースを示し、革新的な方法を紹介し、生態系を回復・持続させる経済システムである「Regenerative Economy(再生経済)」への移行において、どのように産業界が主体的に役割を果たせるかについての実践的な見識を発表しました。

在日スイス大使館と在日スイス商工会議所が主催したこのイベントは、経団連自然保護協議会と『WIRED』日本版後援のもと、スイスと日本の国交樹立160周年を記念した「スイス・バイタリティ・デイズ」の一環として開催されました。

冒頭挨拶

経済フォーラムの冒頭では、ロジェ・ドゥバッハ駐日スイス大使が100万種以上の生物種が絶滅の危機に瀕しているという事実に言及しました。大自然と人間が管理するランドスケープが共存しているスイスの風景を例に挙げ、自然と人間の活動のどちらも欠かすことはできないが、再調整のうえ、新たに持続可能な均衡を見出す必要があることを指摘しました。

また、ドゥバッハ大使は2025年に大阪で開催される国際博覧会のスイスパビリオンで生物多様性の損失に対する革新的な解決策を紹介する予定であることに言及し、もっと環境に配慮するようにと呼びかけて、スピーチを締めくくりました。

続いて、スイスのアーティスト、研究者、電子音楽作曲家であるマーカス・メーダー氏と、日本の和太鼓奏者である近藤直美氏が、魅惑的な音と映像の演奏を行いました。メーダー博士はIoT技術とサウンドスケープを使って生態学的健全性に関するデータを収集した奈良の森へと観客を誘いました。それは、自然、伝統、そして現代のテクノロジーが融合した、とても刺激的な時間となりました。

基調講演

「生物多様性に人間は含まれるのか、含まれないのか。」マイケル・スカップマン教授が基調講演で投げかけた、この示唆に富む質問。それに対する聴衆の答えは分かれることがわかりました。チューリッヒ大学学長であり、この分野でよく知られた専門家である同教授は、いくつか生物多様性の定義を示しながら、これらの定義は文化によって大きく異なることを強調しました。

生物多様性の損失はしばしば未来の問題として認識されがちであるとして、同教授は、世界経済フォーラムの最新調査の例を取り上げました。専門家を対象としたこの調査によると、生物多様性の損失と生態系の崩壊は、今後10年間において3番目に大きなリスクとして挙げられているものの、目先2年の喫緊の課題として認識されていないことがリスクと説明。なぜならば、生物多様性は最優先課題として、今すぐに取り組む必要があると述べました。

スカップマン教授は更に生物多様性の損失という課題に取り組むためにこれまで行われてきたさまざまな取り組みについて紹介。特に、2022年12月に196カ国が採択した「昆明・モントリオール生物多様性枠組」は2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復させるという野心的な目標を設定し、企業の責任を強調していることを指摘しました。さらに、遺伝資源へのアクセスを規制し、その利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分を保証する「名古屋議定書」の重要性についても言及しました。また、「チューリッヒ世界生物多様性センター」のように、生物多様性を測定し、その損失を防ぐための手段を開発する新たな取り組みについても言及しました。

パネル1 - 岐路に立つ生物多様性: 基準、目標、インセンティブの進化中の舵取り

このような世界的な取り組みが生物多様性保全への道を開く一方で、次の重要な一歩は、これらの枠組みを企業や金融機関が実行可能な戦略に変換することです。スイスのESGデータサイエンス企業であるレプリスク社の瀬戸陽子氏の司会で行われた最初のパネルディスカッションでは、この点がさらに掘り下げられました。

まず、農林中央金庫の秀島弘高氏が自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)のメンバーとして、TNFDの理念と機能について説明しました。TNFDは、企業が生物多様性に関するリスク、依存関係、影響を正確に測定、理解し、考慮するための指針を提供しています。この提言により、企業や金融機関は自然を意思決定に組み込むことができるようになります。最終的には、グローバルな資金の流れが、「ネイチャーネガティブ(生物多様性を損失させること)」から、「ネイチャーポジティブ(生物多様性の損失を食い止め回復させること)」へとシフトすることを支援することを目的としています。2023年末の発足以来、すでに440社以上がTNFDの提言を採用しており、そのうち100社以上が日本からです。

このように機運の高まりはみられるものの、株式会社sustainacraftの代表取締役である末次浩詩氏によれば、TNFDのような基準を満たすには、企業にとってのインセンティブは、現状ではまだ少なすぎるといいます。彼が立ちあげたサステナクラフトは、提言を採用する企業をサポートするためにTNFDがつくった「Tools Catalogue」のひとつとして紹介されています。「Tools Catalogue」には、スイスが助成するENCORE(エンコア)や、レプリスクのようなその他のスタートアップ企業によるサービスも含まれています。

末次氏は、現在は気候変動と炭素に主な焦点が当てられているが、持続可能で長期的な利益と自然保護を達成するためには、生物多様性もビジネスモデルに組み込まれるべきだと強調しました。京都大学の栗山浩一教授も、企業にとって現状では十分なインセンティブがなく、持続可能な経済を実現するためには、すべての企業が負の外部性を環境コストとして内面化する必要があると同意しました。栗山教授は、生物多様性を保全することは経済的に理にかなっており、大きな経済的の可能性を秘めている、と指摘。実際、日本企業は生物多様性の減少により、現在、年間13兆2000億円(763億スイスフラン)の損失を被っているのです。

これまでのところ、企業の利益と生物多様性への取り組みが十分に連動していないことを秀島氏が確認し、パネリストたちは、生物多様性を保全するための行動に対して報酬を与える生物多様性クレジット(「自然クレジット」、「生物多様性証明書」などとも呼ばれる)制度と市場が、保全のための努力を促進する効果的な次のステップになるだろうという点で意見が一致しました。これにより、インセンティブが強化され、企業は保全と収益性を両立させることができるようになります。

パネルディスカッションの最後に、生物多様性に関する実行可能な枠組みをつくるために、政府、企業、金融機関が協力する必要があると主張されました。しかし、より広範な社会的支援なしに企業や金融機関だけがこのような変化を推進することはできないため、一般市民の認識、理解、支援の重要性も強調されました。

洞察 - 世界的リスクと可能性としての生物多様性(オンライン)

ジュネーブに本部を置く世界経済フォーラムの実行委員会メンバーであるニコール・シュワブ氏は、パネル1を以下の4つの点に要約しました:

1. 自然関連のリスクをモニタリングし、軽減するための基準や枠組みが数多く存在する。
2. これらの基準はまだ自発的なものであるが、将来的にはそれらのうちのいくつかが義務化される可能性がある。
3. 企業は非常に重要な役割を担っているが、そのインセンティブはまだ十分ではない。
4. 生物多様性を評価する新しい市場商品が提供され始めているものの、生物多様性のための市場はまだ存在しない。

ライブ配信によりスイスからオンライン登壇したシュワブ氏は、生物多様性の危機に対処するための世界経済フォーラムの取り組みをいくつか紹介しました。特に食料、インフラ、エネルギーなどの業界において、2030年までに年間10兆ドルを生み出し、3億9,500万人の雇用を創出する可能性があるということです。

パネル2 - 公約から行動へ: 自然再生への課題、機会、そしてイノベーション

第2部では、これまで議論されてきた経済的機会とインセンティブの重要性に呼応し、生物多様性の基準の導入におけるビジネスの視点と、革新的なアプローチや最先端技術を活用することで、企業がどのように自然再生への公約から行動へと進むことができるかに焦点が当てられました。企業が生物多様性のためにさらなる取り組みを行うことを後押しする「REGENERATIVE COMPANY AWARD」を立ち上げた『WIRED』日本版の松島倫明氏がモデレーターを務めました。

清水建設株式会社の橋本純氏は、日本のエンジニアリング・資材調達・ゼネコンの観点から、TNFDの枠組みを具体的にどのように実践しているかを説明しました。特に資材調達、廃棄物管理、自然環境との関わりにおいて、建設業界は自然保護への重要な役割を担っていると指摘したうえで、顧客の要望と環境目標を一致させることの難しさはあるものの、清水建設は、これらの点を注視しながら改善を目指していると述べました。

スカップマン教授は、持続可能な取り組みを採用したつもりが、想定外の新たな環境問題を生んでしまうリスクについても注意を促しました。例えば、誰しもが建材としてコンクリートではなく木材を使うようになると、地元の木材をめぐる競争が激化し、海外から木材の輸入が増加してしまいます。

ビジネスが自然に与える影響を理解し、それに対処するために重要なのは、十分なデータと生物多様性の変化を定量化する可能性を持つことであり、スタートアップ企業である株式会社バイオームの代表取締役 藤木庄五郎氏は、TNFDの「 Tools Catalogue」のひとつでもある同社でこの課題に取り組んでいます。特に、ユーザーが撮影した「いきもの」の写真で名前が判定できるアプリや生物多様性モニタリングゲームを通じて、関心を高め、データを収集しようとしています。

より質の良いデータを収集し、生物多様性モニタリングを発展させるもうひとつの有望な分野は、スペーステック(宇宙技術)です。チューリッヒ大学は、学術パートナーおよびNASAジェット推進研究所と共同で航空機内に設置して、生物多様性とその変化を高精度で測定する独自のイメージング装置を開発し、企業に提供しています。

ディスカッションの中で、インベスト・コンサーベーション社のアニア・ルントクィスト氏は、グリーンウォッシングに関する懸念について言及しました。このスイスのスタートアップ企業は、自然保護を投資可能なものにするというミッションのもとで、この問題を解決するために、先進的な技術を応用し、信用に足る熱帯林のローカル・プロジェクトと連携し、全力を注いでいます。実際、彼女によれば、陸地の2.5%が生物多様性のホットスポットであり、そこには43%の生命が生息しています。投資家に対する責任を果たすため、同社は衛星、画像、音声データによって生物多様性をモニタリングしています。

技術が進歩し、より良くなっていくことは間違いない一方、パネリストたちは、生物多様性を監視し、行動を起こすために、投資を今することが非常に重要であるという考えで一致しました。「【完璧】追い求めすぎず、行動を起こしましょう!」とルントクィスト氏は締めくくりました。

所見 - 再生を導くエビデンスベースの科学と技術

EPFLスイス連邦工科大学ローザンヌ学長であるマーティン・ベッテルリ教授は「生物多様性を高めるための行動が、気候変動に関する行動よりも遅れているとしたら、少し心配しています」とパネル2で指摘された懸念に共感を示しました。その意味で、ベッテルリ教授は効果的な政策の重要性を強調するとともに、気候変動に対応するにあたって直面した困難から学ぶ機会があると指摘しました。例えば、生物多様性クレジットが炭素クレジットと同じ落とし穴に陥らないようにしなければならないと。新しい技術やビジネスチャンスが期待される一方で、生物多様性のための価格設定メカニズムなど、インセンティブを調整し、強力な規制を導入することが、意味のある行動のために不可欠なのです。

終わりに

「私は資本主義者です。資本主義は悪いものではありません。ただ、金融資本だけに焦点が当たり、自然資本や社会資本が勘定から外れていることが、間違いなのです」。

持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)プレジデント兼CEOのペーター・バッカー氏は閉会の挨拶で、ビジネスケースと行動の緊急性を強調しました。ジュネーブを拠点とする、持続可能なビジネスをリードする世界中の経営幹部を取りまとめるバッカ―氏は、最近発表された『Planetary Health Check』で「1.5度という目標はもはや達成不可能である」と報告されたことに言及し、その緊急性を強く主張しました。

この報告のもうひとつの重要なメッセージは、森林や海洋といった地球の緩衝材が、人間活動によって引き起こされるストレスを十分に緩和することができなくなっているということです。自己調整的な地球のシステムは、その回復力を失いつつあるのです。自然と気候は深く結びついているにもかかわらず、いまだに別々の問題として扱われています。このような状況を改善し、レジリエントな世界を構築するために、バッカー氏はこのフォーラムに耳を傾けているビジネスリーダーたちに向けて、以下の助言をしました:

1. 気候変動と生物多様性損失のリスク、およびサプライチェーンとビジネスへの影響を評価する。
2. これらのリスクを把握し、適切な財務リスクとして正当な価値をつける。
3. 十分な速さで進歩を遂げるためには、イノベーションを最大限に推進しなければならない。

ビジネスに未来をもたらし、その成功を可能にするのは、レジリエントな世界だけと主張。そして、人類が生きることのできる惑星はひとつしかないと結論し、締めくくりました。