2022

持続的なバイタリティ:ウェルビーイング経営

組織のウェルビーイングと従業員の活力を育む

「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」

世界保健機関(WHO)がこう定義するように、ウェルビーイングは健康の鍵となり、活力の源泉にもなっています。さらに、従業員の人間関係や働きがいといった「職場のウェルビーング」の実現は企業価値の一つになっています。また、多くの企業が職場のウェルビーイングを促進するデジタルサービスを生み出しています。

2022年11月17日、東京・駐日スイス大使公邸で開かれた「第5回スイス・日本経済フォーラム」では、「持続的なバイタリティ:ウェルビーイング経営」をテーマに、組織のウェルビーイングを向上させるためのテクノロジーの活用と、従業員のサポートについて参加者が討論しました。その概要をお伝えします。

「危機と変化」の時代の「健康意識」の高まり

冒頭、挨拶したアンドレアス・バオム駐日スイス大使は、今回のテーマについて「気候変動、パンデミック、紛争、経済の激変と、危機と変化の渦の中で、人々がストレスを抱え疲弊しています」と述べました。その上で労働環境の改善がもたらす経済的恩恵のデータとして、同国内のすべての従業員がバランスのとれた労働環境を手に入れた場合、スイス経済は65億スイスフラン(9550億円)の恩恵を受けるというスイス健康促進財団の試算を紹介しました。

「ウェルビーイング」を見据えた健康管理サービス

前半の討論のテーマは「テクノロジーは、バイタリティの維持増進にどんな役割を果たすのか」。デジタル技術で組織のウェルビーイングを目指すサービスを提供する企業3社の関係者が、その意義や課題などを話し合いました。

討論の冒頭、共同モデレーターのアリソン・マイスターIMD教授(リーダーシップ、組織行動学)が、パンデミックの影響でここ数年、メンタルヘルスが著しく低下している現状を紹介しました。「50%近い人が日常的にストレスを感じ、燃え尽き症候群の症状を感じている。実際に生き生きと働くことができていると感じている人は3分の1しかいない」。一方で、ウェルネス領域は2020年以降30%成長しているデータも紹介しました。

スイスのスタートアップ「キアンヘルス」は、企業の従業員とその家族向けに、メンタルヘルスとウェルビーイングを個別に管理するアプリケーションサービスを提供しています。

コンサルタントとして10年以上、従業員の健康管理プログラムを構築・指導した経験を持つヴラド・ゲオルギュー・キアンヘルスCEO。2021年にこの事業を元同僚たちと始めたきっかけは、自身が「深刻な燃え尽き症候群になったことだった」と振り返ります。

ゲオルギューCEOは、職場の健康管理の現状を「病気にならないと支援の対象にならない」と指摘。また 自身が燃え尽き症候群になった経験を振り返り、早期支援の必要性と、2つの「壁」を痛感したと言います。

1つ目は病識の「壁」。「病気になるまで、自分の体調にまったく気づいていなかった」。 2つ目は受診時の長い待ち時間など、専門医へのアクセスの「壁」を挙げました。

こうした「壁」をなくすために、キアンヘルスでは、利用者がアプリで自分の健康状態を把握し、瞑想などのセルフケアと、カウンセリングなどの専門ケアの双方につながるサービスを提供しています。「両方のケアを組み合わせることで孤独感が払拭できる」とゲオルギューCEOは話しました。

従業員の健康は「企業価値」。転換を促す取り組みとは

デジタルデータを使った健康管理サービスの市場が、世界的に急成長しています。さらに生体データをデジタル化する技術も開発され、病気の予兆を見出そうとする新たな動きも広がっています。

人工知能を活用したヘルスケア事業に取り組む「エクサウィザーズ」の羽間康至執行役員は、こうした潮流を解説した上で、医療と健康の中間に「予防市場」が生み出せる、という見方を示しました。

一方で、デジタル技術を使った健康管理サービスが日本で十分浸透していない理由として、従業員の健康管理が、企業価値を高めるための「投資」として認識されていないという見方を示しました。

その処方箋として挙げたのが、企業の社会的責任を評価するESG投資の広まりです。従業員の健康が評価対象になれば「経営陣のマインドセットが変わってくる」と羽間執行役員は期待を寄せました。

組織に幸をもたらす鍵は「三角」のコミュニケーション

矢野和男・日立製作所フェローは、2003年から身体の動きをセンサーで感知、データ化する研究を開始。約10万人計1000万日以上のデータをAIで解析してきました。そこから「生産的で幸せな組織では人が『三角形』でつながり、そうでない組織では『V字』でつながる」というコミュニケーションの形態を突き止め、その知見を盛り込んだ組織支援サービスを開発する「ハピネスプラネット」を設立、企業に提供しています。

従業員は、アプリが組んだ3-4人のグループに参加し、互いに前向きな意思表明と応援の言葉を掛け合います。こうすることで、放射状(V字)の関係が多い組織の中で、縦、横、斜めにつながる人間関係(三角形)が次第に広がっていきます。「次は一般市民に広げられたらと考えている」と矢野フェローは語りました。

討論で職場の環境改善に向けた様々な取り組みが紹介されたのを受け、マイスター教授は「専門ケアへのアクセスや三角形の関係など、人同士のつながりが生まれる場面にテクノロジーが関わっていることが分かった。テクノロジーが組織のバイタリティとウェルビーイングをつなぐ架け橋になっている」と評価。そのうえで、健康情報といったプライバシーに関わるデータを取り扱う際のリスクを、サービスの提供企業だけでなく導入企業側も理解し、管理していく必要性にも言及しました。

本社機能の地方移転で、追求する「豊かさ」

後半の討論のテーマは「職場におけるウェルビーイング:組織は、従業員のバイタリティをどのように支援できるのか」。様々な方法で社員のウェルビーイングの実現を試みる企業や団体の関係者が実践を共有しました。

2020年から兵庫・淡路島に本社機能の一部を移転している「パソナグループ」。現在も段階的に移転を進めています。山本絹子取締役副社長執行役員は移転の理由を3つ挙げました。

まず、災害など不測の事態に備えるため。次にウェルビーイングに基づくライフスタイルの希求です。「淡路島に移ることで、仕事や家族でストレスを抱えた現状から、豊かな生き方や働き方を皆で作っていけないだろうかと考えました」。新しい産業で雇用を改善する目的もあると言います。移転後の社員の生活は「東京の数倍の家に住み通勤は10分。自分や家族がしたいことをする時間を作れている」と語りました。

同社では淡路島を「ウェルビーイング・アイランド」と位置づけています。「健康に関する人材や企業が集まり、淡路島に健康産業を新たに起こそうとしています。社員も人材ビジネスからソーシャルソリューションカンパニーになろうという気持ちになっています」と山本副社長は語りました。

認証制度で増える「健康企業」

政府の資金拠出団体「スイス健康促進財団」による職場の健康管理事業「フレンドリーワークプレイス」の公認アドバイザー、エレン・コッヘルさんが、スイス企業が取り組む健康管理対策を報告しました。

「フレンドリーワークプレイス」では「職場管理計画」の策定や「企業の社会的責任」など6項目の基準を設け、従業員の健康管理が適切かどうかを、企業が自己評価し、改善する仕組みを設けています。「計画を作るだけでなく、実際に運用、更新しているかも評価します」とコッヘルさん。

基準を満たした企業には、財団独自の認証を付与。その審査は、コッヘルさんを始めとする財団公認の外部審査員が担当しています。これまで100社を超す企業が認証され、20万人以上の従業員がその恩恵を受けています。「健康になるためにラベルが必ずしも必要というわけではありません。前進のための取り組みとしての制度です」とコッヘルさんは狙いを語りました。

従業員の「体験」を文脈と共感で検知

ネクスシンクは組織の従業員の満足度や健康状態など、働く際の様々な「体験」を管理するソフトを開発、急成長している企業です。同社のヤシン・ザイードCSOは自社を例に「世界に変化を起こそうと努力することは、一方でプレッシャーにもなり、ウェルビーイングにも影響してくる。目的意識を明確にし、充足感を感じられる環境作りが、ウェルビーイングの土台となる」という考えを語りました。

また、ソフトを使って職員の満足度や不満度、帰属意識を検知する際に抑えておくべき点として、コンテキスト(文脈)と共感の観点から従業員を理解する必要性を指摘しました。「組織のどの部分で問題が出ているのか、その従業員が満足度を下げてしまうのかを浮き彫りにした上で、経営者に理解されているという実感が持てるよう支援している」とザイードCSO。

また「満足度の測り方も、職種や国で異なる。グループで大まかに捉えるのではなく、1人1人の状態を技術的な測定結果と併せてアセスメントすることで、75%の確率で見通すことが可能」と述べました。

最後に、アンドレ・ツィメルマン在日スイス商工会議所会頭は、討論で報告された事例を振り返り、重要な考えをひとつでも持ち帰ってほしいと呼びかけました。「企業内だけでなく、一緒に仕事をすることが必要です。自分たちは大切にされている、誰もが気にかけてくれていると、人々が感じられたら、うまくいくはずです」